おしゃれな人って素敵ですよね。

ですが残念ながら、私はおしゃれな人ではありません。

 

おしゃれな人に憧れはします。服を買う頻度はかなり低いタイプですが、全く買わないというわけではなく、タンスやクローゼットの中にはそれなりの量が並んでいます。

 

でも、なぜかいつも着る服がない。どうして??

これは多くの人が抱える謎だと思います。服はあるのに着れる服がない。決してサイズアウトだとかくたびれすぎているだとかそういうわけではないのに、です。一年前の自分はいったい何を着ていたんだ?と考えずにはいられません。

 

私的に「これはおしゃれなコーディネートだ!」というものはいくつかありますが、大したレパートリーではありません。何回か同じ人に会えばかぶってしまいます。

 

おしゃれな人ってすごいですよね。

たーくさん服持っているのでしょうか。それとも、着回しがとんでもなくうまいのでしょうか。同じ服なのに、まるで同じ服でないかのように着こなしているのでしょうか。

 

誰か教えてください。

眼鏡

文明の利器はたくさんありますが、私自身が最も恩恵を受けているのは「眼鏡」なのではないかと思います。

 

私は非常に目が悪く、小2の頃から眼鏡をかけています。今、裸眼の視力は0.01を下回ります。なんてことだ!

もし眼鏡というものが存在しなかったら、私は満足に日常生活を送ることもできないでしょう。友人が私に手を振っても無視をする、なんだか冷たくてツレない人になってしまうに違いありません。

 

眼鏡のおかげで、私は普通の人としていられるのです。

 

そう考えると、文明の利器ってすごいですね。誰かの欠陥を補って、まるでそれ自体たいした問題がないかのようにしてしまいます。

 

「足が短いからそれを隠したい!」「鼻が低いな...高くしたい!」「おっぱいを大きくしたい!」いつかそんな私たちの願いを叶えられるようになるのでしょうか。

 

あ、もうできるか。文明すげぇ。

大学生というのは本当に暇なものです。

特に今の時期は授業も終わり、レポート地獄も終わり、何もやることがありません。

 

暇な時間は、保育園生とか小学生とか、もしかすると中学生くらいまではなかったような気がします。いつも何かが楽しくて、全力で生きていたような。真剣に漫画を読んだり、自転車で当てもなくどこかに行ったり、お絵描きしていたり。

暇を感じるって、大人になったということなのでしょうか。

 

最近はずっと携帯をいじっています。

インスタ見て、Twitter見て、ユーチューブ見て、ネットフリックス見て。

 

......え?私の日常中身なさすぎじゃない?

 

よくわからないけど忙しそうな友人はいます。

何をしているのか、参考として聞いてみたりするのですが、総じてそういう人は何で忙しいのかはっきりと教えてくれません。

忙しいアピールをする人は嫌われがちなので、よくできた友人たちだと感心しますが、今回に限っては「教えてくれい!」という気持ちも抑えきれません。しつこい人も嫌われがちなので食い下がったりはしませんが。

 

「忙しそうな人=意味のある日々を送っている人」というような気がして、私はとても羨ましいです。パッと考えてみただけでも私もやるべきこと(英語の勉強、早期就活など)は思い浮かぶのですが、今絶対にすべきというわけじゃないよなぁと先延ばしにしてしまいます。良くない。

 

きっと何かを始められる力のある人が、将来大きくなっていくんだろうなぁ。

このままじゃ小さな大人になってしまう。それは嫌!!

 

続けたい

継続は力なり。

よく聞く言葉だけど、きっと本当にそうなのだと思います。

 

続けるのって難しい。

 

私は大学一年生の頃、日記を三ヶ月くらい続け、めんどくさくなって結局やめてしまいました。でもやっぱり続けておけばよかったなと後悔し、大学2年生の9月に再開して2月18日現在まで継続。しかしやはりめんどくさい気持ちもある。

 

でも、そのめんどくささを乗り越えるからこそ意味があるのだと思います。

未来の私が後悔しないよう、今の私が頑張りたい。

 

最近、虫眼鏡の概要欄の本を読みました。

素人が一冊の本を書こうとすると難しいが、毎日少しずつ何かを書き、その中から良いものを抜粋すれば簡単に一冊の本ができる。という文章が印象的でした。

 

その通りだ。

私は虫さんが大好きで、虫さんが書く概要欄も大好きです。文章が上手で、私もこんな文章がかけたらいいなと心から思います。

だけどきっとそれは難しいから、拙い文章でも、その日に思ったことを記していきたいなと小さな目標を立てました。

 

続けたい。この一心で、ブログを始めます。